市民と犯罪について。
God dose not play dice.
アインシュタインはそう言いました。
量子力学的にはサイコロを振るとも聞きます。
ところでもしアインシュタインが正しければ、犯罪とは何でしょうか?
犯罪そのものが予定通りであるなら、その罪はどう見ればよいのでしょうか?
犯罪を行うとわかっていながら、犯罪を行う犯罪者。
その犯罪が神の予定に則ったものである時、彼らの自由意志の不存在を裁く法はあるのでしょうか?
あります。
なぜならその前提に立つとき、人間の法の執行者も自由意志を持たないからです。
三権があり、機械論的法体系が機械論的犯罪者を裁くわけです。
つまり市民の側が絶対的に正しいわけです。
ところで平和への罪とは何だったのでしょうか?
戦前ファシズムの清算には終わりがあればいいとは思います。
日本人の生存権を考えるとき、私は大江健三郎の新しい人よ目覚めよを思い出します。
障碍者イーヨーの胸ポケットに入れるべき日本国憲法と障碍者の権利に思いを馳せるとき、一般的な日本人は日本国の過去の罪業を計算しつつ、国連の人権宣言に逃れるしかないような感じを抱きます。
時に、その人権宣言の権利も国連を毀損しない範囲と明確に定められているわけではあるのですが…。
まあ、ともかく健全な市民は犯罪とは無縁に違いないということで。