企業層の変化

江戸時代はなぜ滅んだのでしょうか?
というか、日本史、あるいは、世界史の安定政権はなぜ、近代以前では、数百年で滅んでしまったのでしょうか?
身分制の勝者のパーセンテージが一定数を超えるからでしょう。
より古い時代においてはその鷹揚さと歴史の無さにおいて、無知故に、近代に近づくにつれ、狷介さと歴史の重さにおいて、無知の知故に、社会は閉塞し、生存権を求めた闘争が行われるのです。
万人に対する万人の闘争。
激しい競争が行われたことでしょう。
さて、戦後日本の社会も70年が経過します。苦労を知る1世代が墓場に向かい、その1世代を知る2世代が老境に向かい、3世代が壮年の時代です。
今でいえば、企業家層が身分制の勝者でしょうか?
この勝者と、過去の勝者の数による対立が起こるのもそう遠くはないような気もします。
そのような歴史の泥沼を回避する方法はあるでしょうか?
おそらく、その解決法は一足先に問題を抱えた欧米が採用した民主主義というシステムにこそある機能なのでしょう。
ところで、戦後日本は経営学、商学、経済学を修めた、アッパーミドルの身分制の過去の勝者が起業して、経営層になるという方向性がありました。
ですが、これからも資本主義社会が100年、200年と続くとしたら、民主主義社会の階層の流動性と過去と現在の対立の解消のため、万人に認められた明かな業績と明確な社会への貢献が認められるような形の資本主義が生まれるのではないかなあと感じます。
米国のシリコンバレーなどは完全な夢の体現であり、エンターテイナーを送り出すメディアも過去のものとはいえ夢の体現ですし、明確な差が出るスポーツなども夢の体現でしょう。
結局のところ、資本主義では金が票です。自分が支持する社会システムに金を出し、そこから英雄が出るというのが、一つの歴史の泥沼の回避法ではあるでしょう。
…まあ、こういう話は全て地盤、看板、鞄を持たない人間の逃避ではあるのでしょうが。
帝国は滅んではいなかった!

SF