空想科学読本は面白いですよね。
劣化コピー的な話になりますし、あれは科学だからよいのですが、とりあえず政治の雑感なので、政治的な感想を述べていこうかなあと思います。
今回は、手塚治の火の鳥です。これは、古典漫画ですけど、歴史、神話、SF、ファンタジーを網羅した大河ロマンにあふれる一大スぺクタル作品な訳ですが、少し分析してみます。
大和編から考察すると、騎馬民族征服説に則った大和王権の分析を取り入れて神話的要素を上手く張り巡らせて、敗戦という手塚の世代が向き合わざるを得なかった現実を物語に託して上手くまとめてあるように思います。
哀れな邪馬台国を模したシャーマン国家が新兵器である馬を携えた文化レベルの異なる侵略者に破れる…。
どこかで聞いたような筋で、手塚が美しさを化粧で隠していたウズメに吐かせた台詞に敗戦国民としての手塚の実感と淡い期待が現れているように思います。
女は周の粟を食える限り子供を産むものです…。
昭和の末期から平成の生まれまでの今の40代以下は戦争も、反戦も知らない世代です。
だから、時には戦争を礼賛し、時にはその魔性の魅力に囚われてしまうこともあります。
私も、信長の野望とシヴィライゼーションが好きです。
現在の70代が死ねば、戦後の混乱期を知る世代もいなくなります。
この漫画の中には、火の鳥という超現実性の救いと第三者視点のスペクタクルと美しさがあります。
私たちは、漫画の中では、現在に至るまでの権力者たちが追い求めた不老不死への願望を否定することができます。
私たちは、漫画の中では、敗戦国の現実を昇華させた美しいストーリーによって戦争の勝敗を否定することができます。
私たちは、漫画の中では、歴史上に行われた厳しい生存競争の勝者たちが演ずる優劣の存在を否定することができます。
さて、火の鳥-黎明編-の政治分析をしましょう。
邪馬台国は国内では、強力な勢力を誇る大国で、序盤ではナギの熊襲を滅ぼしてしまうほどの強国で、グズリにみられるように先端文化も握っているように描かれています。
実際、魏志倭人伝に描かれる日本人の姿は倭の蛮人であり、現実の邪馬台国は魏に朝貢し、中華の先端文化の輸入と交易を握り地域支配を進めたのだと考えられます。
政治的には正しい邪馬台国のこの判断ですが、戦争を含む戦略上は完全な過ちでしょう。
自国の技術レベルを完全に偵察された上に、自分たちの地理学上の場所と勢力範囲を先進文明に知られたらどうなるのかは火を見るよりも明らかです。
実際に、朝鮮から騎馬民族がフロンティアを求めて倭に攻め寄せて、それが、大和王権の樹立に結びつくわけです。
火の鳥-黎明編-でも、もちろん邪馬台国は占領されるわけですが、神武天皇のことを悪く書くわけにもいかず、かと言って敗戦側にしか心情移入できない当時の情勢からして少年漫画とは言え手塚先生は大変に苦労して描かれたのだと思います。
火の鳥の血さえあれば! 全ては解決するのに!
といいながら、そのようなドラマツルギーが行われないところに、手塚漫画の憎らしいほどの漫画的リアリズムがあるのでしょう。
人間の科学技術はジャックと豆の樹の豆のように天まで届くほど育っています。
いつか本当に不老不死とも見まごうような長寿を誇る人間の子孫が生まれ出でるのかもしれません。
その時、私たち過去の人間が笑って否定している価値観を彼らはどう見るのでしょうか?
火の鳥は火の中で生まれ変わって踊りながら再生するのです!
うーむ、深い!