表現の自由と信仰から見る精神の自由と政治

個人的にキリスト教が後20世代ほどは世界一の宗教の座を譲るはずが無いと見ています。
ただ、ユダヤ人の集金力と政治力が衰えないまま数世代が経過すると話は違うような気もします。
聖書と使徒言行録を読む限り、世界一洗練された教えはキリスト教であるし、最も寛容なのはキリスト教です。
最近、教会に通い始めたのですが、そこで思ったのは信仰と表現の関係です。
聖書は完成されていますし、偶像崇拝は禁止されています。
キリスト精神に則った表現。と言ってもどこまでが許されて、どこからが許されないのでしょうか?
悩みどころですし、そこを突き詰めると、どうしても厳密なキリストの教えから足が遠のく人もいるのかなあとも思ったり。
ところでそうやって見ていくと精神の自由と政治についても少し似たようなことが見えてきそうです。
個人的に自由民主党が後20年ほどは日本一の政党の座を譲るはずが無いと見ています。
ただ、公明党、創価学会の集金力と政治力が衰えないまま後10年が経過すると話は違うような気もします。
外交と労働法制の動向を見る限り、日本一中間層を優遇しているのは自民党であるし、最も日本外交を上手く操舵しているのも自民党です
最近、自民党に投票してみたのですが、そこで思ったのは政治と精神の関係です。
自民党員の名簿は完成されていますし、熱心な党員の関係者が他党に投票するのは暗黙の内に禁止されています。
党則に則った精神。と言ってもどこまでが許されて、どこからが許されないのでしょうか?
悩みどころですし、そこを突き詰めると、どうしても熱心な自民党員以外は政治から足が遠のく人もいるのかなあとも思ったり。
ところでローマ帝国の興亡を描いた塩野七海の『ローマ人の物語』は非常によいと思いますが、なぜローマが滅んでキリストが勝ったのでしょうねえ?
非常に興味深いですね。

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