テロ等準備罪

テロ等準備罪が国会を通過するようです。
9.11以降今まで日本で成立していなかったのが幸福だったのか、不幸だったのか…。
幸福だととらえて書くと、日本赤軍や、オウム真理教、と言った例外をのぞくと、デカプリストや、革命家を必要としない、天皇家と藤原家の血脈共同体としての側面を持っていたため、真の弾圧と圧政の恐怖を知らないふりをして統治できたその連続線上にこれからの日本も存在するのだというお花畑信仰であるという事実。
これからは、一定階層以上にいないと、反政府活動や、野党活動も苦しくなりますよという政府からの強い警告がでた今、私たちを守っていた幸福は消え去ったと見るべきでしょう。政府の強い庇護のもとにいない人間にとって幸福な時代は去ったといえます。
真に体制と向き合うにはどうしても暴力装置が必要、なの、か、なあ。
私、『テロリスト群像』とか『我が闘争』とか『資本論』とか『帝国主義』とか持ってるんだけど、マークされたりするんでしょうか?
恐ろしいです。
ところで、テロ等準備罪が存在しなかったことを不幸だと取っている人にとっては、日本の安全保障体制の国際化と北朝鮮等の国際社会からの逃避国家への情報流出が問題なのでしょう。
グローバルスタンダードに合わせるのはとても良いことです。
その意味では、テロ等準備罪の審議はあまりに遅すぎたと言えるでしょう。
このネットワーク化された自由の保障された社会には、暴力によって世界を変えようとする、テロリストや革命家、宗教家は必要ないのかもしれませんね。
投票行こう、社会活動しよう、自己実現しよう!
以上、暴力が世界を動かしえた市民革命にあこがれつつも、自分がやるには物怖じしてしまう一市民の駄弁でした。

テロリスト群像