白居易の長恨歌と唐の崩壊は有名な話です。
男の子より女の子の方が期待できる、とか。
楊貴妃ですね。はい。
この21世紀に入って、情報があふれている今、その時代と同じ空気が流れているのではないかなあ、と、思います。
国際化と国民の非人材化です。
日本は極東に存在していて、基本的にもっとも進歩した西欧文化の伝達が中国でストップしてしまっていたわけですが、長恨歌の時代には阿倍仲麻呂などの遣唐使から官僚に抜擢された人材も現れ、その国際宮廷から中国文明を支える、政体、文化、技術、生物資源などを非常に安価に手に入れることができたわけです。
現在、男性の1/3は結婚できないといいます。男の子より、女の子の方が市民の幸せを掴みやすいという事実があります。
また、現在の世界文化の中心地のUSAから日本は非常に安価に文明の果実を抜き出してアジア各国にばらまいてしまったわけですが、これは反動への非常に強い誘惑になっているのかもしれません。
国破れて山河在り。
本来、日本の方が敗戦国であり、日本語という文化障壁を排除して、国際化しなければいかなかったのかもしれません。
新古典派的な現実の重商主義で理解すると、連結子会社の独立会計上の利益を生むために連結親会社が必要利益を取れていないとすると、その会社は普通配当できず、株価が下がって、割安物件と見られて買収されます。
唐の国際宮廷は連結子会社の安史等の節度使が掴んだ独立会計上の利益が大きすぎたのが原因とも分析できるのかもしれません。
まあ、とにかく、日本はUSAでも、ローマ人でも、唐人でも、ギリシャ人でも、イスラエル人でも無いわけですから、ただ国際社会の恩恵と国内の安定を信じてプロテストするのがよいのでしょうね。