政祭一致の恐怖の発散

政祭一致の恐怖は無限大に発散するような気がします。
漢帝国が儒教を国是にしたのは、秦の始皇帝、項羽、劉邦の政祭一致の恐怖があったからのように思います。
孔子そのものは周の王室に連なる家系の持ち主で、礼法の達人であったわけですが、春秋戦国の時代では錯誤的であり、また、礼法の影響力が魯の国までで、他の諸侯からは登用されませんでした。
なぜなら、春秋戦国の諸侯は祖廟の信仰と実力の政治力が一致していたからです。
これは、ローマ帝国の神々の時代を生きたキリスト教の絶望とも、帝国で血縁主義がもたらした奇妙な道徳の頽廃にも当てはまるでしょう。
また、アビニョン虜囚が起こるまでのヨーロッパ王室の悩みや、神曲で法王を批判したダンテ、痴愚神礼拝を著したエラスムス、フランス革命を形作ったルソー、道徳から離反したボードレール、戦前思想家の内村鑑三や、天草島原の乱の首謀者にも当てはまることでしょう。
政治と宗教の一致した社会では、完全に逃げ場がないです。
そういった事実を考えるとき、天国、パラダイス、エデンなどと言った神の手になる世界にも身分制が敷かれるのかなあとも思います。
自分で書いといてなんですが、絶望的ですねえ。
万人の万人に対する闘争はもうしばらく続く、のですかな?

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