犯罪は卑劣ですよね。
ですが、資本主義社会であるわけですから、人生の貨幣評価による絶対評価は下されてしまいますし、そうである以上、ねじ曲がった人間もいないわけではないです。
戦後社会も、既に3代目だから、その点の収斂は進展していて当然です。
ところで、犯罪者人口を減らすためには、警邏国家がよいのでしょうか。福祉国家がよいのでしょうか。
計算しましょう。
警察官の閉鎖経済下でのGDP寄与性と、福祉行政の閉鎖経済下でのGDP寄与性を計算します。
GDP(p)+GDP(scp)=GDP(a)
GDP(w)+GDP(ssw)=GDP(b)
p=ポリス、w=福祉、sc=損失保全、ss=機会保全
とすると
GDP(p)=GDP(w)のとき
GDP(scp)とGDP(ssw)の不等式で求まる。
機会保全の方が損失保全を上回るのは自明ですね。なぜなら機会保全が行われるならば犯罪による損失保全は極小に抑えられるからです。
理想的にはそうです。
しかし、GDP(p)には限界効用線があるという事実と、GDP(w)の非合理性の一人当たりのGDPの低下という事実から理想を現実に落とし込むときこの議論は決着がつかないでしょう。
ところで、現実経済は開放系で、日本は食糧輸入国であるという事実を考えると、警邏国家の方が正しいような気もします。
時々、思うのです。
神は社会に反社会人を作り給うた。予定説によれば、犯罪者は犯罪を行わなければならない。と。
そして彼らは予定通りに裁かれて、予定通りに改心しないのでしょう。
主は人を試したもう。