科学と戦力と生産基盤と勤勉さと寛容さと正義の差

戦前、日本は列強の一角で、アジアの最先進国で、東洋の文化の中心でした。
では、日本人はなぜ戦争に負けたのか?
結論から言うと、全てにおいて自分たちより優れた国と戦ったからです。
科学において、日本は超軽量ジェラルミンや解読不能の暗号などを擁していましたが、レーダーの実用軍備化に後れを取り、暗号の統一化さえも怠って技術優位を失いました。もちろん連合国の核開発やオペレーションリサーチを筆頭とした新しい科学の波には敵うはずもありません。
戦力において、日本海軍は一早く空母と航空戦力を組み合わせた海陸の三次元戦術を編み出し実戦に成功し、奇襲まで行いましたが、戦術の基礎の集中さえ行わず、枢軸国の同盟にも関わらず、連合国のより大きい包囲網を破れず、致命的なミッドウェーを迎え敗れ去りました。
生産基盤において、日本はモータリゼーションさえも経験せず、どうやって機械化兵団を維持する連合国に勝利するつもりだったのでしょうか?
勤勉さにおいて、日本は精神と総動員と体制翼賛で総力戦を戦い抜けるのは大日本帝国の方で自由に溺れる連合国はいずれ講和するのだとプロパガンダを流していましたが、連合国は自由を維持しながら総力戦に適応しました。
寛容さにおいて、日本は捕虜を酷使し、戦争末期にはアジア諸国から略奪までしました。連合国は日本兵を正式な捕虜として扱い略奪は行っていません。
正義において、日本は大東亜共栄圏を掲げ、アジアの開放と独立を約しながら、中国への侵略をやめませんでした。連合国は日本のプロパガンダを否定する側面があったにせよ、実際にアジア諸国の独立を許しました。
数え上げればきりが無いのですが、日本人は全ての面で敗れたのだと思います。
科学、文化、宗教、哲学、思想、政治、経済、外交、そして、力。
戦後日本はその前提を忘れると、おかしな議論に導かれてしまいます。
私たちは、戦前の列強だった頃でさえ、それほどの差があったことに考えを巡らすとき、現在の差について考える必要があるように思います。
その事実さえ忘れなければ、その前提以降で語られる歴史や政治で致命的な間違いを犯すことはないように思えます。
国滅びて山河有りとはいえ、殷の賢者は周の粟を食わないと言ったのか、食うなと言われたのかを少し考えてしまいます。
古典派経済学のシンパとしては、開放経済系の対米経済に組み入れられたアジアの優等生としての日本国の立ち位置を考えると、僅かな額でも非対米経済圏から資金を獲得し資本主義の主催に対して貢献できる国力を維持するため、実体経済の成長と高度経済成長期の火の玉社員のような、愛国者を現在政治は求めているのかもしれませんね。

現実というもの